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親睦と奉仕

 ロータリーの二本柱として、ほとんどのロータリアンは「親睦と奉仕」をあげます。親睦と奉仕がロータリーライフを支える二本の大きな柱であることは、疑いのない事実です。親睦が失われればクラブは崩壊するだろうし、奉仕こそロータリー運動の目的であります。

 ガイ・ガンディカーは次のように述べています。「しばしば、ロータリアンで親睦を図ることが、ロータリー運動の全てであるように誤解される。また、ゆるぎない親睦こそ、ロータリーが存続する絶対条件だと考えているクラブもある。しかし、これらの二つの立場からの判断には、明らかに批判の余地がある。親睦はロータリー運動そのものではなく、ロータリーという植物が、根をはり、成長するためにどうしても必要な、最上の土壌なのである」

 親睦を図りたければ、誰にだって無限の機会があります。気の合った仲間とゴルフや旅行に行くもよいし、カラオケやバーでだって親睦を図ることができるでしょう。一業一会員だなんていわなくても、同業者同士でも充分親睦は図れます。

 ロータリーはあえて親睦と奉仕の解釈を、世間一般の人たちが考える解釈と異なる次元においています。ロータリーが定義する親睦と奉仕は、いかなる辞書を引いても正しい解釈が活字化されていないロータリー独自の概念であり、さらにそれを正しく理解しないかぎり、ロータリー思想の原理を語ることはできないのです。

 fellowshipを「親睦」と訳したことにも問題があるでしょう。むしろ、「友情」とか「友愛」と訳すほうが理解しやすいかも知れません。ちなみに米山梅吉がポール・ハリスのThis Rotarian Ageを翻訳するにあたって、その書名を「ロータリーの理想と友愛」としたのは、理想=奉仕、友愛=親睦を意味するものであり、戦前のクラブ組織表では、親睦委員会の代わりに友愛委員会の名称が使われています。

 ロータリーが考える親睦にはどんな意味を持っているのでしょうか。あえて結論を先に述べれば、「親睦」とはロータリー思想が形成され、成長する過程において導き出された概念であって、奉仕の心を作り出すための例会における諸活動のことを指すのです。

 ロータリー運動の実体を考える便法として、「入りて学び、出でて奉仕せよ」の考え方がとられていました。例会の場で、職業上の発想の交換を通じて、分かち合いの精神による事業の永続性を学び、友情を深め、自己改善を図り、その結果として奉仕の心が育まれてきます。この例会における一連の活動の前提となるものを「親睦」と考えました。例会で学んだことを実践するのが「奉仕」なのです。「親睦と奉仕」の対比は、「理論と実戦」「奉仕の心の形成と奉仕の実践」「学習の場と実践の場」「クラブ内の運動とクラブ外の運動」にも対比させることができます。

 世に有用な職業全てを正業と考えるロータリーの職業観からは、職業の貴賤や上下関係を認めないことは当然として、縦社会の一切をも認めていません。職業を天職と考えるところに、全ての職業は尊重されなければならないという発想が生じ、それが職業倫理を高めるという奉仕の心の形成の発展をしていくのです。ロータリアン同士が全て対等と考える根底は友情であり、友情あるがゆえに、ある時は師となり、徒となって、互いに切磋琢磨しながら奉仕の心を形成する作業が可能になります。
資本主義を背景に生まれたロータリー運動は、最高の利潤を追求したいという利己心と、「世のため人のため」にいかにすべきかという利他心を調和する哲学でもあります。

 永続性のある適切な利潤を、獲得するために到達した経営哲学が、「良質の職業人とは、自己改善を重ねて、自分の職場を健全に守るとともに、取引先、下請業者、従業員、顧客、同業者など、自分の事業と関係を持つ全ての人と幸せを分かち合うことである。そして、その心でもって事業を営めば、必ず最高の利益が得られることを自分の職場で実証することによって、奉仕の精神の必要性を地域全体の職業人に伝えていく」という職業奉仕の理論であり、その理論を研究し、お互いに職業情報を持ち寄ってその具体策を検討するのが例会の場であります。

 「奉仕」には概念としての「奉仕の心」と、行動としての「奉仕の実践」の二通りの意味があり、親睦と対比して奉仕という言葉を用いるとき、それは奉仕の実践を意味します。奉仕の心は親睦と同義語だからです。

 「奉仕」という言葉から受けるイメージは戦争中なら勤労奉仕であり、現代ならボランティアを意味することが多いように思われます。また、日本語としてサービスという言葉を用いる場合、価格を下げて売ったり、付録をつけることを意味します。
ロータリー用語として、「奉仕 Service」を一言で説明することは難解です。社会奉仕、国際奉仕における奉仕は、ボランティアに近い意味合いを持っています。当然のことながら、その受益者はロータリアン以外の人が対象となります。実践面について、個人奉仕の原則や、団体的金銭的永続的奉仕の禁止などのロータリー独特の制約がつき、さらに、単なるチャリティーを含めないことが他の奉仕団体の奉仕との差かも知れません。

 弱者救済の手段として、いわゆるほどこしの奉仕は確かに即効性があります。しかし、飢えに苦しむ途上国に対する援助の例が物語るように、一度援助が開始されると、それに頼りきるあまり、自助努力をする必要がなくなり、援助が途切れた途端、前にもまして悲惨な状態に陥ることがあります。そうかといって、団体的金銭的永続的奉仕が原則的に禁止されているロータリーが、永遠にほどこしを続けることは不可能です。ロータリーがおこなうボランティア的活動は、受益者の立場に立って、その自助努力を助けるための援助に限定されるべきものです。

 シカゴクラブがおこなった公衆便所設置運動は、決して金銭的奉仕活動ではありません。公衆便所の必要性を説き、市当局、商工会議所、商店会に働きかけて実現させたものです。ロータリーが目指す社会奉仕、国際奉仕活動は、このようにオピニオン・リーダーとしての役目であることです。

 これに対して、職業奉仕における「奉仕」は、ロータリー独特の哲学的な意味合いをもっています。世間一般の人が喜ぶからといって、ボランティアやチャリティー精神で、職業上の技術や製品を無償で提供し続ければ、事業が倒産することは間違いありません。

 “profits”を得ることは、健全な職業生活を営むための絶対条件であり、適正な profitsを得て、永続性のある事業を営む前提条件として、前述したように、「自分の幸せは、自分の周りにいる人々の幸せと、決して無関係ではない。良質の職業人とは、自己改善を重ねて、自分の職場を健全に守るとともに、取引先、下請業者、従業員、顧客、同業者など、自分の事業と関係を持つ全ての人に幸せをもたらすことである。そして、その心をもって事業を営めば、必ず最高の利益が得られることを自分の職場で実証することによって、奉仕の精神の必要性を地域全体の職業人に伝えていく」という、日常の職業生活のことを、ロータリーの職業奉仕と呼んでいます。

 したがって、職業奉仕という概念は、単に職業と奉仕とを合成した言葉ではなく、ロータリーが作り出した特殊な概念として理解しなければなりません。

 さらに職業奉仕には、社会奉仕、国際奉仕と異なって、ロータリアン自身が受益者になることがありえます。職業奉仕を邁進することで、永続的に適正な利潤が得られれば、その利潤のかなりの部分が事業に関係する周囲の人々に還元されるとしても、ロータリアン本人もその恩恵を受けることになります。

 クラブ奉仕の概念はさらに難解です。単に、社会奉仕、国際奉仕、職業奉仕の語呂合わせで使ったという感すら抱かせます。ロータリアンが自分のクラブの運営、管理が円滑に進むように協力することは、当然の義務であり、それにあえて奉仕という言葉を用いることに不自然な感じがします。中国語ではServiceに「服務」という文字を当てています。クラブ奉仕の奉仕はむしろこの「服務」の意味で理解し、さらにクラブ管理に限定したほうが適切かも知れません。

 以上のように、一言で四大奉仕といって、クラブ奉仕、職業奉仕、社会奉仕、国際奉仕を列挙しますが、それぞれの奉仕には奉仕の意味が異なってくるのです。

 ロータリーはその思考過程の中で独特な奉仕活動を確立しました。奉仕の心を形成するための自己改善の努力は、クラブ例会を通じておこなわれ、その過程で生まれてくるものがロータリーの親睦です。例会で培った奉仕の心を実践に移すのは原則としてロータリアン個人個人の責任であり、その受益者は原則として地域社会全体の人たちです。ロータリーが定義する親睦と奉仕と、世間一般に用いられる親睦と奉仕とは、意味が違うことに留意しなければなりません。

「ロータリーの精神は親睦と奉仕の調和の中に宿る」

 1907年から1913年にわたって続けられた、親睦か奉仕かをめぐる論争の中で残された言葉の通り、奉仕の心を育む原動力として、会員相互の親睦は決して欠かすことのできない大きな要素です。親睦と奉仕は、背反関係にあるのではなく、相互に支えながら回転する二枚の歯車と考えなければなりません。

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