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ロータリー誕生

 ポール・ハリスは、5年間の諸国遍歴が終わり、シカゴの町に移り住んだのが1896年でした。早速弁護士を開業いたしましたが、5年間の空白があったため、友達の弁護士の下請の仕事を頼んでさせてもらったり、そのかたわら判例を勉強するために図書館通いをしながら、ようやく経済的な安定が得られるようになったのは2年経った1898年でありました。

 そこでポール・ハリスはふっと一息つきシカゴの街を見まわした時、シカゴの街もアメリカ全土が相遇している共通の悩みを持っていることが分かりました。それは南北戦争が終わり工業化の波が全米に押し寄せ、農業社会から工業社会へと産業構造の変革の時代であり、農村部から都市部への人の流入が激しく、各都市とも都市計画が追いつかず、都市機能が麻痺し混乱をきわめ、自分のことしか考えないという風潮が高まり、人の心は全く渇ききっていました。

 その頃、全米のあちこちで、都市生活を自分達の手に取り戻そうとする住民運動が起こってきました。日本でいうところのコミュニティ運動に類する社会改良運動です。この運動はコミュニケーションのある社会を造ろうとする運動で、心と心が通いあわない都市生活なんて無味乾燥であり、倫理の確立などは到底およびもつきません。およそ人間と言うものは、一人では生きていくことなどできるものではありません。世の中にコミュニケーションなくしては社会の構成など絶対にできないと考えられます。

 ポール・ハリスはそのような社会改良運動もさることながら、一番ひどいのは職業人の心の問題ではないかと考えました。そこでシカゴに住む全職業人の心と心を通わせる方法が何かないものかと考えました。しかしながらあまりにも問題が大き過ぎることに気がつき、一弁護士の力ではどうしようもないとあきらめ自重します。
 
 そうこうしているうちに、ある一つの場面に遭遇します。それは1900年の夏のことでした。シカゴ郊外の弁護士の友人の別荘に招かれ、夕食後友人にともなわれ、食後二人は連れだって付近の街頭を散歩しました。その道々、二人はいろいろな商店や事務所を訪問し、その都度ポールはこの友人から各店の主人を紹介されました。そして、友人の依頼者のグループの集まりに加わります。もちろん友人と依頼者はよく知り合っておりますが、依頼人同士はあまり逢ったこともない人たちです。しかしいろいろと話をしているうちに依頼者同士が非常に打ち解けて仲良くやっているのにヒントを得て、これは一体どうしたことだろうと考えた時に、その中に同業者が入っていないということに気がつきました。そうだこれだとポールは合点します。

 いうまでもなく資本主義社会にあっては自由競争がたてまえであり、同業者というものはお互いに業界の中では良いところ、悪いところ、醜いところ全て知りつくし、喰うか喰われるかのしれつな闘いをしているため、どうしても心を開こうとはしません。そこで同業者を排除して、一つの職業から一人づつ集まって気楽なクラブを作ってはどうか、そうすることによってそれぞれの職業人が心を開き仲良くやっていけるのではないかと考えつきます。その後ポールはあわてず、約5年の歳月をかけ思索を練ります。

 1905年 2月23日木曜日の夜は、ミシガン湖から吹き付ける、小雪まじりの身を切るような寒風が吹き荒んでいました。ポ−ル?・ハリスはマダム・ガリの店で、彼の顧客でもあるシルベスタ−・シ−ルと夕食を摂りながらに、兼ねてから話していたロータリークラブ結成の構想を具体的に説明しました。
「私は実業家のクラブについて、ずっと考え続けてきました。それは、シカゴにある今までの社交団体とはまったく違った、新しい種類のものなのです」
「それは、どのように違って、どんな意味を持つクラブなのですか?」
 シールは尋ねました。
「そうですね。知己と友情を充分に強調したいですね。しかし、それだけではなく、会員同士がお互いのビジネスを伸ばせたらいいと思います。それは難しいはずはないと思うのですが」
「例えば、二人の会員が同じ職業を持つことができないと決めればいいでしょう。そうすれば、クラブの中には競争相手がなくなります。もし会員の誰かが品物やサービスが欲しい時には、クラブ内の人と取引する義務を持たせたらいいでしょう。相互扶助の一種だけれど、どう思います?」

 ポールの構想に全面的に賛同したシールは、共に、シカゴ市ディアボーン街127 N.ユニティビル 711号室にあるガスタ−バス・ローアの事務所に赴き、既にその場で待機していたローア、ハイラム・ショ−レイと共に、ロータリークラブ設立のための初の会合が開かれたのです。

 友人たちを見て微笑んでいたポールは、突然、緊張した面もちになって話し始めました。
「ハイラム君。君は我々の新しいクラブの中で、仕立て屋という職業を持っています。私は弁護士です。それぞれのメンバーは自分自身の職業を持っているのですから、我々はお互いに、自分の職業を活かした取り引きをしてはどうでしょう」

 この日の会合では、「一人一業種で親睦を深める会を作る」という設立の主旨が熱っぽく語り合われ、クラブには実業人だけではなく法律家、医師、宗教家と、あらゆる職業の人を集めることになりました。

 この1905年2月23日をロータリーの創立記念日としています。

 職業人というものは、資本主義社会の基本前提である自由競争のもとで、互いに相競うことを義務づけられています。相競うことがゆえに互いに疑心暗鬼と不信感にさいなまれている職業人に、親睦和合を達成させるためには「一業一会員制」が重要なことでした。そしてこの会の実質上の目的を、会員間の「職業上の相互扶助」、つまりそれぞれの会員の職業を理解しあい、その企業上の諸問題に会員相互の衆知を集めて助け合うということにおきました。このようにして、会員相互の職業上の相互扶助を目的とする親睦団体たるロータリー・クラブの基本構想がまとまり、そしてさらに2週間後にポールの事務所で開くことと会員を増やすことを約束して散会します。この会合は、互いの個人的経験談によって、大いに活気あるものとなりました。
3月9日第2回目の会合がポールの事務所で、新たに不動産屋ウイリアム・ジェンスン、印刷屋ハリー・ラグルスが参加して開かれました。

 事業の経営者、共同経営者、または会社役員でなければ会員になれないことが決められ、更に、今後の会合の持ち方についても議論が闘わされました。
「個々の会員の事務所で代わる代わる例会をしたらどうだろう?」
 ハリスはそう提案しました。
「その方法なら、我々それぞれはすぐお互いの職業に対する詳しい知識がつくはずです。持ち回りという取り決め事はすばらしいことだと思います」

 その考え方は貴重な意見だったので、満場一致で採用されました。このようにして会員相互の職業を十分に理解しあうために、例会場を各会員の職場を順番に持ち廻りしながら輪番で開催することに決定しました。
第3回目の会合は3月23日にシルヴェスター・シールの石炭置場で開かれ、洗濯屋アーサー・アーウィン、オルガン製造業者アル・ホワイト、保険業者チャールズ・A・ニュートンが入会し会員数9人になりました。ポールは会員数を25人くらいまで増やしてから発足したかったのですが、時期を失すると考え9人でクラブ発足に踏み切り、役員の任命をおこないました。

 この会は、ポールが中心になって進めてきましたので、彼が会長になってもなんら不思議はないのですが、互譲の精神が必要であると考え、シルヴェスターを会長に推薦します。彼はこころよく引き受けました。
 シールの会社で会合を開いたことを記念して、ポールの指名によって初代会長にシルベスター・シールが就任したことは、実質的な主宰者であるポールの謙虚な人柄が忍ばれると共に、依頼されたことは、どんなことでも快く引き受けるというロータリーの伝統として、現在に引き継がれています。

 会長挨拶を兼ねて石炭業界の展望についてと題して、今日でいうイニシエーションスピーチの第1号をします。

 イニシエーションとは、新人受け入れ、入会式の意味です。クラブの性格上、自分の職業における自らの職業観、経営観、経営哲学、経営上のノウハウを他人に開陳して、お互いの発想の交換をするという趣旨から、特に当を得たスピーチであったと思われます。次に幹事の選出にあたり、通信担当幹事と統計担当幹事の二幹事制にします。前者は、ハイラム・ショーレイ、後者はウイリアム・ジェンスン、そして会計にハリー・ラグルスが選ばれます。

 当時はまだSAAの制度はなく、定款も1906年に作成されます。しかしこの会で、例会で一番重要なことが決められています。それは、例会出席強制の原則です。このクラブは2週間に1回例会が開かれます。厳しい経済情勢の中で、お互いに助け合い、親類付合いし、隆々として栄えるクラブを作ろうと誓い合ったのだから、必ず毎例会に出席して互いに安否を気遣い、幸せを祈ろうとしました。

 1、2回の欠席はやむをえないとして、4回連続欠席すると自動的に会員資格を喪失することが決定します。これには一切の例外も認めないと定められています。それほど初期のシカゴクラブの人は例会出席を絶対視したのです。
このシカゴクラブの初期の活動に参加したものの中には、今日のように大学出身者はおらず、大多数は農村出身の中堅企業の経営者であり、財力には乏しくとも倫理的に正しい道を歩もうとする、いわゆる社会の優良分子だけだったといわれています。ちなみに、シルヴェスター・シールはインディアナ州、ガスタヴァス・ローアはイリノイ州のカーリンビールから、ハイラム・ショーレイはメイン州の出身でした。


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