トップページ > ロータリー講座 > ロータリー概論 > 第3章・ロータリークラブ名とバッジ制定
 
ロータリークラブ名とバッジ制定

1905年3月23日、第3回目の会合で役員が任命され、次いでクラブ名の討議に入り、議論が沸騰します。

 彼らは、当初自身たちのことをブースタークラブBooster Club(推進者)と呼ぶことを考えつきました。
「ブースター? 電圧の上昇?」
「辞書はその意味を、前進を助けるために、下から持ち上げるか押し上げると解説している。悪くない!現在のアメリカのはやり言葉だ。どんな都市にも、どんな小さな町にも、大学や高校は、ブースター組織を持ち、その数は少なくとも20以上はあるだろう」

 しかし、思慮深い考えが、ハリスとシールに、その名前をクラブにつけることを思い留まらせました。我々はシカゴを押し上げることに関心があるのではないし、いわんやこのクラブを押し上げることでもないことを指摘しました。すでに、そのような義務をもっている商工会議所chamber of commerceという特別な組織ができていると、ポールは説明しました。クラブの会員の望みは、世間の注目をあびている彼ら自身を“押し上げる”ことではないのか。彼らが望んでいるのは、相互取引によってより多くの金を稼ぎ、毎週の例会でささやかな楽しみを持つことでありました。

 ラウンド・テーブル・クラブthe Round Table Clubはどうだろうと、誰かが提案しました。これもまた悪くはない。アーサー王の円卓会議は、重要な人が参加することで有名であり高貴でもあった。しかし、その名前には新鮮味がなかったし、新しい国の生き生きした都市には、まったくふさわしくなかったし皆もそう思いました。
 ポール・ハリス自身は、クラブに対する彼の考えを率直に言い出してくれたことに感謝の念をいだきました。
「コンスピレーターズ・クラブ(共謀者)the Conspirators Clubと呼んだらどうだろう?」
 長時間、誰も一言も発しなかった。彼らはその名前のことを考えて座っていました。ついに、たまり兼ねた一人が尋ねました。
「なぜ 共謀者なんだい? 我々は何を共謀しようとしているのかい?その言葉は、普通、あまり良くない行為を意味すると思うんだが」

 ポールは必ずしも、そういうふうには考えなかったけれども、言外の意味が、本来の趣旨を混乱させるかもしれないと考え、その意見に賛成し、提案は却下されました。@ブースタークラブBooster Club Aラウンド・テーブル・クラブThe Round Table Club Bコンスピレーターズ・クラブConspirators Club Cシカゴ・フェローシップThe Chicago Fellowship Dブルー・ボーイズBlue Boys Eシカゴ・サークルChicago Circle Fレイク・クラブThe Lake Club GFFFクラブThe FFF(Food-Fun-Fellowship)Club Hメン・ウイズ・フレンドMen with Friends Iフレンズ・イン・ビジネスFriends in Business Jトレードアンドトーク・クラブTrade and Talk Club Kウインディ・シティ・ラウンドWindy City Round 等々、結局1ダースを超える候補名が卓上を賑わしましたが、ビシッと決めるような発言をする人は誰もいませんでした。

 最後に誰かが「我々はお互いの事務所で、一種のローテーションを取り決めて、会合を開いている。ロータリークラブRotary Clubと呼んだらどうだろう」

 この論争で彼らは疲れはて、誰いうとなく例会場も持ち回り、役員も持ち回りであるからRotary Clubになったといわれています。しかしポール・ハリスは「ロータリーの理想と友愛」で、ロータリーという言葉を初めて使ったのは初代会長シルヴェスター・シールであると述べています。

 この会合の頃、同時にバッジの制定の動きがありました。最初の紋章はハリー・ラグルスが作りました。彼が会社でロータリーの紋章を考えていると馬車の新聞広告が目に留まり、例会場の持ち回り、物と思想の伝達手段の馬車を結びつけ、13本の支柱からなる馬車の車輪を紋章としました。

 だが、紋章に動きがないことや馬車の車輪で品がないなど批判が出て、ポールが会員のモンダギューベアに改良を依頼しました。1906年のことです。彼は軽快で上品な二頭立ての馬車の車輪を作ろうと、14本の細い支柱よりなる華奢な車輪を作り、その上にRotary clubと書き、その下に運動を示すために雲をつけました。これもシカゴクラブの会員間で極めて不評で、有名な幻燈機製作者ロンド・トム・フィップが、雲は塵に見えるし塵が車輪の後に見えるのは良いが前方に見えるのは不合理であるなどと非難したので、早速改正し同じ年度中に、12本の支柱よりなるさらに軽快な馬車の車輪の下半分にリボン、その周囲に雲をつけ、リボンの中にRotary clubと書き車輪の中の下にChicagoと書きました。これが1910年全米ロータリー連合会ができる時までのシカゴクラブの紋章となりました。

 1908年以降、全米各地にロータリークラブができましたが、各クラブ独自の紋章を用いていました。したがって第1回全米ロータリー連合会の大会がシカゴで開かれたとき、16のクラブがあり16の紋章がありました。中には歯車を使った紋章もありました。


1906年

1910年

1913年

1926年
↑概論トップ  
←BACK"ロータリー誕生"
 
Copyright (C) 2006-2015 Awaji Chuo Rotary Club All Rights Rserved.