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一般奉仕概念の誕生

 シカゴクラブの定款細則が定められたのは、1906年1月のことでした。その起草委員に任命されたのがポール・ハリスとマックス・ウォルフの2人の法律家と、いま1人は保険業のチャールズ・A・ニュートンでした。この3人の作業は非常に優れていて、その表現は今日のものにもその痕跡を残しています。そして綱領として次の2ヶ条が記されています。

第1条 会員の業務上の利益を振興すること。
第2条 性質として社交クラブに伴う親睦、その他望ましい諸点を振興すること。

 要約すると会員の相互扶助と親睦が目的です。社交クラブである以上、親睦が共通した性格ですから、ロータリークラブの特質は会員の相互扶助にあるといってよいでしょう。これをロータリーの互恵主義と呼んでる人もいます。

 では会員の相互扶助(互恵主義)とは一体どういうことでしょうか。具体的にいいますと、会員相互の取引を義務づけているものです。会員が石炭を買いたいなら、シルヴェスター・シールから買い、洋服を仕立てたいならハイラム・ショーレイに注文する。書類を印刷したい時は、ハリー・ラグルスに、法律問題であれば、ポール・ハリスにといった具合に、全てのものに相互扶助を義務づけたのです。そして会員同士は常に親睦を保ち、良きにつけ悪しきにつけ親類付合いなので、全て原価取引を原則としておこなわれたといいます。ある時、初期の会員が会費が高いのではないかと不平をいったところ、ポールはこの原価取引のためにあがる利益のほうが多いはずだと笑ったという有名なエピソードがあります。

 このように初期のロータリークラブは、クラブを通じて互いに儲けよという非常にエゴイズムに満ちた出発でした。しかも、1906年からスタティスティシアン(Statistician)統計作成担当と呼ばれる役員がおかれ、毎例会ごとに、それまでの会員間の具体的な取引の記録を作成し、報告がなされたということです。この役職は1909年から、会員名簿を保持し会員出席を記録するレジストラー(Registrar)出席委員長と兼務になり、1912年に廃止されます。

重要事項……

 毎回の食事の数を確定し、会員相互で取引されたビジネスの量を確認する必要があるので、この郵便物を直ちに返送すること。
  あなたが取引したビジネスを立証する記録をつけて、その会員の名前をしめした記録を大切に保管しておくこと。

  次回の例会に参加しますか   (は い)(同伴者数)
                      (いいえ)

                 会   員   報   告

前回の例会以降、
    私は 人の会員から 件の取引を受け取った
    私は 人の会員について 件の取引に影響を与えた。
    私は 人の会員に 件の取引を与えた。

日 付             署 名

 会員相互で商品や原材料を原価で取引して、それを一般の人に売って大きな利潤をあげるのですから、こんな効率的な話はありません。この制度は会員の事業に大きな経済効果を生みだし、零細な企業主でもロータリークラブに入会すれば必ず事業は拡大し、大金持ちになれるとさえいわれました。

 ポール・ハリスは、会費が高いことに不平を洩らす会員に、原価取引で得られる利潤を考えれば決して高い会費とはいえないと諭じながらも、シカゴ・クラブの[物質的互恵]制度への非難に対して、後日、次のように弁明しています。
 「初期のロータリーの目的は利己であったとしばしばいわれる。或いは、その通りであったかもしれない。しかし、今までの人生の中で最も人を思いやり、自己を滅却できたのは、1905年、シカゴ・クラブの会員であった日々だと述懐する人もいる。会員が利己か利他かの判断は、何によって幸せを見付けだすかによって決まる。もし、会員が自分の利益を図ることに幸せを見いだしていたとすれば、利己主義であり、反対に、友人を助けることだとすれば、それは利他である。シカゴ・クラブの初期の段階に、この両方の考え方があったとしても、それは至極当然のことであろう」(This Rotarian Age)

 そういう中で、ロータリアンはどんどん金持ちになっていきました。そしていろいろな商売上の情報の交換をやっていたのでますます企業が発展していきました。

 身勝手なことがいつまでも続く道理もなく、こうした行為に対する一般の人からの非難が日に日に高まり、ロータリアン自身からも批判が出始めてきました。1906年4月に、ドナルド・カーター事件が起こりました。フレデリック・トゥイード Frederick Tweedが、弁理士ドナルド・カーター Donald Carterに[物質的互恵]の特典を説明して、シカゴ・クラブへの入会を薦めたとき、彼は職業を持って社会で生活している以上、職業を通じて社会に貢献することが自分が存在する証になるのであって、自分たちだけの利益にこだわって、社会的に何もしない団体に将来性も魅力もないと述べ、入会を断ったのです。

 最初の4人のロータリアンは決してエリートな人ではありません。単なる町の人でした。そういう町の人が集まってロータリークラブを作り、その中で情報交換をおこない、そしてどんどん伸びていき、やがてエリートと呼ばれる集団にまで成長していきました。その中で、いろいろな反省が生まれてきます。外部からの批判も出てきます。ロータリー内部からの自己批判も出てきます。一番有名なのが、ドナルド・カーター事件です。1906年の春、シカゴクラブのフレデェリック・ツィードから入会を勧められた彼は、親睦、相互扶助の原理を聞き、「大変結構な話だが、ロータリーに入っている君たちだけが栄え、会員皆幸せになっていいだろうが、一業一会員制だからロータリーに入れない人はどうなるのだ。ロータリーに関係のない一般市民はどうなるのだ。地域社会に育てられ、お世話になり、何のお返しもなしにこの世を去るのはあまりにもエゴイズム過ぎるのではないか。自分だけがいいことをしようという集団には将来性がない。今生きているのはシカゴで自分が社会的に何をしたかという証を示したいから生きているのだ。それを示せないようなクラブには絶対に入らない」と言って入会を断りました。

 その頃にはロータリークラブに入ったら金儲けになるという定説がありましたから、皆が争ってロータリーの会員になりたがっていました。それを断ったのですから、シカゴクラブの受けたショックはさぞ大きかったろうと思われます。

 この入会拒否事件はシカゴ・クラブに少なからぬショックを与えましたが、この事件の処理に対するフレデリック・トゥイードとポール・ハリスの対応は極めて適切であり、その適切さが後のロータリーの発展につながっていきます。
 「せっかく仲間にしてやろうと言っているのに、断るなんて失礼だ。今後二度と声をかけない」俗人ならきっと、そう思ったに違いないし、二度と彼を誘うこともなかったでしょう。しかし、[物質的互恵]と[親睦]にのみ終始することに限界を感じ、次の段階へのステップ・アップを考えていたポール・ハリスは、この事件を絶好のチャンスと捉えて、直ちに、ロータリーの在り方を転換することを決断し、定款を改正することを条件にドナルド・カーターに再考を促し、彼も快く入会を了承しました。
 これを契機に、シカゴ・クラブの定款に対社会的な行動に関する項目が付け加えられ、始めて、原始ロータリーに奉仕という概念が芽生えることになります。

 そして綱領第3条が追加されました。

第3条 シカゴ市の利益を推進し、その市民の中に市民としての誇りと忠誠心を植えつけること。

 カーターの考え方は、ロータリー内部でも感じられており、議論が高まり、1912年に物質的相互扶助の原則が廃止されました。この理論的根拠は1915年、ガイガンディガーのロータリー通解に「ロータリアン同士の取引はロータリーの義務でも本質でもない。またロータリーの存在理由でもない。ロータリアン同士の取引はロータリーの付随的要素に過ぎないものである」と提示されました。

 またカーターは世のため、人のためのクラブであればシカゴ市だけでなく、全米の諸都市にもと考え、ロータリークラブの拡大理論を提唱しました。しかし従来と違う概念ですから問題にならないわけがありません。元来、親睦と奉仕は水と油の関係で相容れない性質です。内に向かうエネルギーと外に向かうエネルギーです。

 シカゴクラブの人たちは親睦と相互扶助だけの考え方で集まっていましたので、何をいまさら世のため人のために奉仕するのかといって、クラブは親睦派と奉仕派に分かれます。しかしポール・ハリスはカーターの考え方が正しく、ロータリークラブはエゴイズムの塊であってはならず、世のため人のためになるクラブでなければ永続性も将来性もまた社会的意義もないと考え、奉仕の考え方を推進する決意をします。

 1907年3代目会長に就任したポールハリスは、3つの新しい方針を立てました。

@奉仕理念の提唱
Aシカゴクラブの現状打開とクラブの充実
B拡大に向かって準備をすること

 ここで初めて「奉仕」という言葉が登場しますが、この当時はまだ、今でいうロータリーの奉仕の概念はなく、ただ漠然とした対社会的な奉仕の概念しかありませんでした。今でいうロータリーの奉仕の概念が明示されたのは1908年のことです。初めはチラッとした奉仕で、例会場に新聞少年を連れてきて新聞を買ってやったり、施しをするといったいわゆるチャリティーのような奉仕でした。それがだんだんとボランティアに変わっていきます。

 シカゴクラブがおこなった公衆便所の設置運動というのが一番有名です。シカゴ市内に公衆便所を設置する運動を提唱し、地域社会の諸団体やシカゴ市議会を動かし、3年の歳月を費やしてこれを成功させました。しかしこの運動も何かしら、対社会的な奉仕をおこなおうとしている中にたまたまこの話が出て、おこなっただけのことであると理解する方がよいのではないかと思われます。

 さてポール・ハリスが会長に就任し、自ら先頭に立ち、奉仕理念の提唱を推進していくにつれ、シカゴクラブはますます荒れだします。親睦と相互扶助しか考えていなかった会員ばかりの中で、奉仕の考え方を推し進めていくことによってクラブ内に混乱が起こり、収拾がつかないような事態に立ちいたったのです。

 ポール・ハリスは何の目的も達成することなく会長の任期がきます。しかしここでポール・ハリスは重大な過ちを犯します。会長留任を主張し第4代目の会長になったことです。シカゴクラブの現在までの歴史の中で、自ら会長留任をしたのはポール・ハリスただ一人です。いうまでもなく、会長は1年で交替するのが原則です。幹事の留任は今までに多くの例があります。

 1910年にできたフィラデルフィアクラブでは1960年、創立50周年の記念祝賀会のメインイベントが幹事留任50周年慰労祝賀会であったといわれています。また日本でも大阪の露口四郎は幹事留任13年、軍閥の弾圧で壊滅し、戦時中も大阪金曜会と名をかえて、ロータリー運動を展開し、1949年(昭和24年)RIに復帰するまでの期間を合わせると、通算20余年間幹事職を続けたといわれています。他にも幹事留任の例は多く見られますが、自ら自薦して会長留任をしたのはポール・ハリスただ一人です。

 1908年ますます荒れてきますが、この年にロータリー運動形成上重要な人物が二人入会します。その一人は、アーサー・フレデリック・シェルドンです。彼はミシガン学派の経営哲学であり販売学の大家でもあります。ミシガン学派の経営哲学理論というのは、今は多数派となりその流れを汲む人が多いといわれていますが、当時は少数派で、仏教的な因縁論で割り切る経営理論です。

 企業というものは、もろもろの人的な因縁でもって構成されています。すなわち株主、役員、従業員、買手、その他多くの因縁でもって集まった人々により構成され、いろいろな因縁に基づいて企業経営活動がおこなわれ、その結果利潤を生み出すのです。その利潤は因縁でもって集まった人々によってもたらされたのであるから、その利潤を生み出した人々に還元するという理論です。これは現在のロータリーの職業奉仕理論と合致する考え方であります。このような理論を開発したのがシェルドンです。彼は非常な秀才ですが、人間関係をあたためるということが下手な人です。いつも人を見ずに法を説いたといわれています。しかしポール・ハリスは、世のため人のためという奉仕理論と相通ずるところがあり、彼の経営哲学理論が大いに役に立ち、肝胆相照らす仲となり、二人で奉仕という理念を推し進めていくのです。

 今一人は、同年同月に入会したチェスレイ・ペリーです。彼は組織管理にたけた人であって、大学は出ておりませんでしたが、米西戦争に陸軍士官として参加した経歴の持ち主であります。このように同年同月に片や経営哲学の大家、片や組織管理の大家の二人が入会してきたということはロータリーにとって大変幸せなことだといわねばなりません。

 後年、ポール・ハリスはチェスレイ・ペリーを評して、私はロータリーのデザイナーだが、本当のロータリーのビルダーは彼であるといったということです。100年近くなるロータリーの歴史を見、2001年6月30日現在世界中に30,149のロータリークラブと1,188,492人のロータリアンを擁する巨大な組織になったもとになる組織原理を開発したのがこのチェスレイ・ペリーでした。

 ここでシェルドンについてもう少し触れておきます。シェルドンはミシガン大学経営学部卒の優秀な販売学の大家でした。彼は学んだ経営理論の正当性を信じて、これを実践するためにシカゴの町にやってきます。初めは本屋に勤めますが、その経営主のあまりに利己的な経営に嫌気がさし退社します。その後いろいろと紆余曲折した末、販売学を教える学校を設立します。その資格でシカゴクラブに入会が認められ会員となります。

 時あたかもシカゴクラブは、親睦派と奉仕派に分かれてクラブ存立の危機をはらんでいた時代でした。シェルドンはミシガン大学で学んだ経営理論である「奉仕哲学」をクラブに持ちこみます。そのミシガン大学で開発された奉仕哲学とは、20世紀初頭、当時の社会の特長である商品交換を中心とする物流機構の確立と、その主要な担い手が商人階層にあるところから、商人の社会管理のやり方如何によっては、現在社会は後世に拭い去ることのできない汚点を残しかねない危険性をはらんでいることを指摘し、その解決策として、商人の経営管理の場に「利己と利他との調和」を中核とする一つの哲学理論の導入が必要であると考えました。商人は利潤なくして自己の企業を成り立たせることはできない。利潤獲得に名をかりて儲けのためなら手段を選ばないということになれば、社会がいかに醜いものになるかは誰にでも分かることです。

 そこで商取引というものは、売手・買手双方の満足なくしては成り立つものでないということと、長期的に商売が成り立つためには、売手・買手の間に信用と呼ばれる信頼関係が確立されることが肝要で、長期的に安定した利潤を上げることは、この信用確立という精神的境地と表裏一体の関係にあると考えられます。

 すなわち利己と利他との調和こそが、商人と顧客との間の関係を規律する偉大な原則であると断定できます。この時商人も利益を得て物心両面の幸せを得ますが、それと同時に顧客もまたその商人と取引して満足いく商品を得て物心両面の幸せを得ることができます。いわゆる利己と利他との調和が保たれたのです。これがミシガン大学経営学部が形成した概念であって、これを「奉仕の心」Ideal of Serviceと呼んでいます。言い換えれば、利己と利他とを調和せしむべき心の場のことを「奉仕」と呼んでいたのです。このミシガン大学経営学部の開発された「奉仕」という専門的、学理的、且つ文化的概念がシェルドンのシカゴクラブ入会でロータリーの世界に影響を及ぼしていくのです。

 シェルドンはシカゴクラブに入会して、そのクラブがおこなっている親睦と相互扶助、そして今では親睦と、精神的相互扶助にまで発展したこの考え方と、ミシガン大学で学んだ相手の身になって考えようとする「利己と利他の調和」を主軸とする奉仕概念が、一致するものと考えます。そしてこの考え方を、当時ポール・ハリスが提唱していた「われら少数の職業人の親睦のエネルギーをあげて世のため人のために」という発想の原理的基盤におくべきであると考え、ポールに進言します。ポールは大いに歓迎し感動します。

 この時以降二人は1920年頃まで互いに協力してロータリー運動の原理的基盤の確立の努力を重ねていきます。
ここでもう一度、シェルドンの考え方を整理しておきます。「利己と利他との調和」を、一体どうすればよいのかという大問題があります。第一に、シェルドンは、「利己と利他との調和=奉仕」の立場にあります。第二に、この時のみ私的利潤の獲得が、同時に対社会的貢献と合致することになります。

 こうして第三に、商業は金銭獲得の即物性を取得できます。即ち「利己と利他との調和=奉仕」の考え方に基づき自分の企業管理をする場合のみ、自己の企業の発展と地域社会の開発を調和させることができます。この奉仕の哲学を日常生活で実践する商人達は、自己の努力の結果である良質な利潤に支えられ、地域社会の住民達から尊敬と信頼を受け、誇りを持って後世にその商的文化伝統を伝えることができるものと彼は考えました。

 そして彼が、「利己と利他との調和=奉仕」の解決策として見いだしたのがシカゴクラブの親睦でした。単なる社交クラブの親睦と相互扶助から、親睦の根底にある友愛心が物質的な相互扶助にとどまらず、精神的な相互扶助へと深まっていったところに着目したシェルドンは、原理実現のためにロータリークラブの制度の原理的手直しをおこないます。
第一に、彼は職業分類学の力を借りて、職業分類表を作り、その地域の商的社会の横断面を捕らえ、各職種につき良質な人すなわち「利己と利他との調和=奉仕」の志を持った職業人を選び会員とします。
第二に、職業体験が異なった良質な会員が、その独自な職業的発想を定例例会において相互に交換することにより、自己研鑽し、人格の向上を計り、企業の道徳的水準を高め、その修錬を積むことによって天地の理法が見え、やがて会員一人一人が「利己と利他との調和=奉仕」の精神的世界の体現に到達することができると考えたのです。
この時ロータリークラブは、他の団体では果たすことのできない独自の社会的使命、機能を自覚するようになりました。その会員の親睦を出会いの場とする「奉仕の心」に向けての絶えざる努力が、企業管理の体質改善になって現れ、それが徐々に、自己の私的利潤獲得の方法を改善するとともに、自由競争の場である業界において提示されることを通じて、業界浄化の先例となったのです。

 そして彼はこのロータリー思想を日常実践の場において企業経営者の心に訴えるように“He profits most who serves best" と表現しました。このシェルドンの標語が発表されたのは、1911年第2回全米ロータリー連合会のポートランド大会です。このシェルドンの立論はその立場の崇高性と理論の整合性と後世に対する始動力の強さからして卓抜したものであり、これを理解することなしに、ロータリー運動の独自性を示すものだとされる「職業奉仕」の概念を理解することはできません。

 当初シェルドンは、“He profits most who serves his fellows best”と述べています。最初の言葉にhis fellowsという言葉が加えられていることは非常に興味深いことです。現在の標語が全ての人々を奉仕の対象としているのに対して、その対象をhis fellowsと限定していることは、とりもなおさず、当初は自分を取り巻く人々だけを念頭に置いていたと考えられます。
 「自分の幸せは、自分の周りにいる人々の幸せと決して無関係ではない。良質の職業人とは、自己研鑽を重ねて自分の職場を健全に守るとともに、取引先、下請業者、従業員、顧客など自分の事業を営めば、必ず最高の利益が得られることを自分の職業で実証することによって、奉仕の精神の必要性を地域社会全体の職業人に伝えていかなければならない」と。

 なお、profitsの解釈をめぐって金銭的な利益か、精神的な利益かの論議が今なお盛んですが、ロータリー運動を生みそれを発展させた背景に、資本主義経済の悪い側面がもたらした極端な唯物主義や拝金主義に対する反省、すなわち目先の利益第一主義からの脱却があることを考えれば、シェルドンのいうサービスによって報われるprofitsには、物質的、精神的利益がともに含まれ、人間が誰でも望んでいる物質的欲望と奉仕の心の調和の必要性を説いています。

 また、この標語の日本語訳ですが、「最もよく奉仕するもの、最も多く報いられる」「奉仕に徹する者に最大の利益あり」「積善の家に余慶あり」などありますが、必ずしもシェルドンのいわんとする真意を適格に表現しているとはいえません。なお、公式訳文は「最もよく奉仕するもの、最も多く報いられる」です。

 ちょうど時を同じくして、1909年に創設されたミネソタ州のミネアポリスクラブの初代会長であったフランク・コリンズが、今一つの標語を生み出しました。彼はロータリー運動の標語として“Service,not self”(奉仕だ、自己でない)を発表します。シェルドンの標語が経営哲学から生まれたものなら、これはキリスト教を背景とした宗教色の強いものといます。この言葉は、自己を滅却した奉仕を意味するものと受け取られ、自己否定につながるという反論が強く起こりました。半年後に、自己の存在を認めた上で、他人への奉仕を求めるという意味の修正が加えられた“Service above self”が広く使われ初め、1921年コリンズの死後、“Service above self”に変更されました。この言葉も「超我の奉仕」「自己研鑽の奉仕」「奉仕第一、自己第二」などと訳されていますが、aboveは単に上を表わす前置詞としてではなく、selfとserviceを対等に結びつける接続詞と考えるほうが妥当です。その解釈からは、自己の主体性を認め、奉仕の心の主体性を認めるならば、自己の存在が奉仕を越えるものでもなく、奉仕が自己を越えるものでもないことになります。selfとserviceには序列をつけるべきではなく、両者の価値は同列であり、渾然一体なものと考えることが必要なのです。

 しかしそのような職業奉仕の理念も、2001年度の規定審議会において、ロータリーの用語から性に関する用語を廃止する決定がなされ、同年“He profits most who serves best" の標語が“He”という男性代名詞が含まれているとの理由で、一時使用停止となってしまいました。しかしシェルドンの唱えたこの精神は、我々ロータリアンの心の中で脈々と生き続けています。

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