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慶應義塾大学小児科講師 渡辺久子先生

1.思春期は大人の赤ちゃんである
 思春期はどの子にとっても大きな転換期である。子供としての自分に別れを告げ、大人としての自己を確立するために、子供は、身体的な二次性徴や、心理的な自我の目覚めと親離れ、社会的な自己のアイデンティティの確立などの複雑な発達課題に直面する。日本の子どもは、近年、身体的には二次性徴が早く発現し、ませた子どもである一方、心理的には都会化、少子化された環境のため、子どもらしい生活体験を十分に経ず思春期を迎え、子どもっぽいおとなである。この心身のギャップは、子どもをとりまく現代社会の、核家族の機能不全、偏差値教育、性情報の氾濫などにより一層ひろまり、子どもらのストレスを強めている。
 心身共に多感な思春期、どの子も日々ストレスを受け葛藤を抱えながら成長している。多くの子は、身近な家族や友人や先生の助けをうまく借りながら乗り越えていくが、それでもある時期、不安定になったり、問題行動を起こしたり、心身的症状を生じたりする。問題が解決されぬまま積み重なっていくと、やがて不登校、家庭内暴力、非行、拒食・過食症等といった形で問題が露呈する。
 思春期はいわば子どもを卒業し、大人の赤ちゃんに生まれ変わる時期と比喩的にいえる。と同時に、乳児期に似たむき出しの情緒を、親には向ける。実際には、思春期の歴年齢から10歳差し引いた年を、情緒年齢とするとわかりやすい。つまり、10歳は、10−10=0歳、11歳は1歳、12歳は2歳、13歳は3歳の子のような喜怒哀楽を示すことがある。思春期はまさに大人の赤ちゃんである。思春期の心身の発達は個人差が大きい。どの子も心身ともに大人びてくる反面、人前ではみせない思わぬ幼児的な感情を、母親にむき出しにすることがある。

2.家族は心の港
 自立の課題に刻々と直面する思春期の子どもにとり、家族は改めて大切な心のよりどころである。思春期の子どもを小舟にたとえると、家族はいわば小舟が荒海に出ていくときの港といえる。いつでも戻れる安定した港であれば、勇んで航海に乗り出しやすいが、港がおぼつかなければ小舟も動揺する。思春期に心の港としての家族が安定していると、多くの問題は解決しやすい。たとえば不登校の場合、実際に海(=学校)が荒れていて、小舟は港に待機しているかもしれないし、両親の不和などの家族葛藤により、港が荒れていて、子どもも立ち往生しているかもしれない。その場合、外の世界の仲間に逃げて、そこで発散して、生き延びようとしている場合もある。


3.乳幼児期:ほっとできる心の子宮のような家族
 人間の赤ちゃんは生後数時間で周囲の環境を敏感に察知し、緊張したり、興味をもって関心を向けたりすることが知られている。家族の中でも特に母親が心身ともにゆとりのある状態でいることが大切で、赤ちゃんは自分ににっこり笑いかけてくる人の顔を期待し、それが裏切られると困惑する。母親が抑うつ状態のため無表情になったり、仕事に戻ることや、世間体にとらわれていたり、あるいは自分自身の現在と過去の葛藤にふけっていたりすると、赤ちゃんとのふれあいが平板で生き生きとしないものになる。
 工業化社会の大人に便利なテンポの速い都会生活は、デリケートな母−乳児システムには不安や緊張を与える。母−乳児間の二者関係のシステムは、母子をとりまく父親や家族の複数のシステム、そして家族を包む地域社会や国のシステムの影響を敏感に受けている。この3次元の関係性の響きあいが、うまく調和している時には、乳児の心は安定して発達し社会化しやすい。
 ブラジルトンは、まだ工業化されない1980年以前の五島列島の赤ちゃんが、神経生理学的に安定していることを研究したが、五島列島がその後工業化し、生活のテンポが速くなるにつれ、赤ちゃんはアメリカ都市の赤ちゃんと同じになった。このことが示すように、現代社会のストレスは、乳幼児期から赤ちゃんを襲っている。
 乳幼児にとっては、自分の自然な生理的欲求のまま寝たり起きたり食べたり甘えたりごろごろしたりはしゃぎまわったりすることのできるゆとりが家庭にあることが大切である。乳幼児発達研究家スターンは、家庭にデリケートでやわらかい赤ちゃんという感性の生き物を中心とする雰囲気がないと、心はうまく育たないと報告している。
 家庭は失敗の許されるのんびりした場であるほうがよい。そのほどよさをたとえば小児科医で精神分析医、乳幼児精神科医のウィニコットは「ほどよい育児 good enough mothering」とよんでいる。これはすべての家庭状況にいえることである。つまり、母子家庭であること、病気の子がいること、単身赴任であること自体が問題なのではなく、それぞれの家族形態が人間的なゆとりと温かさを失い、子どもの緊張や不安を受け止められない時に、さまざまな問題が出てくるのである。仕事が忙しくてきりきりする母親には子どもは寄りつきにくい。しかしそのことをよく注意し、子どもにしわ寄せを与えないように配慮すればその子は守られる。一方、いくら家に母親がいても、母親が家庭で孤立し、焦りと不安緊張の中で育児をしていると子どもはこわい母親と感じ不安になってしまう。かえって働く母親となって、外で自分の力を発揮し、すっきりして自宅に帰り、我が子と情緒的に満ち足りた交流がもてる方がいい場合もある。

4.心の世代間伝達
 子育てをしているとおのずと自分自身の生い立ちをめぐる、無意識の感情がわいてくる。それはしばしば否定的な形をとり、極限状態では虐待につながる。
 虐待という言葉は、誰しもの情動をかきたてる。これは虐待であると判明すれば、歯止めがかかるが、世の中には熱心な育児や教育という美名のもとで、親や教師自身が、厳しすぎ、熱心すぎる関わりを子どもに強いながら、実は自分がうさはらしをしているということもある。私たちは皆、現代社会の競争原理や効率主義に汚染されており、ますます未来が不透明になる今日の社会の中で、誰しもが世間の圧力や将来の不安に秘かにおぴやかされ、自分の葛藤を子どもに発散しやすい状況なのである。
 ある若い母親が母乳が出ないで悲観し、育児不安からうつ状態に陥り、赤ん坊にミルクをやらずに数日間放置した。母方の祖母が、たまたま外出の途中で娘のマンションに立ち寄り、夕方なのに電気もつけずに社宅でぼーっと座り込んでいる娘と脱水状態でぐったりしている孫を見つけ、救急車を呼んで救出したのである。父親が治安の悪い外地に単身赴任し、母一人が日本で出産して子育てをしている最中の出来事であった。祖母は婿の外国勤務という出世を喜び、自分自身がエリートサラリーマンの妻として、度重なる夫の単身赴任を支えて家を守り、3人の子を育てあげた実績を誇りにしていた。そのため、娘が再三祖母に「社宅で母子だけの生活は寂しい」と訴えるたびに、「そんなことくらい我慢しなさい。私はそんな弱い人間にあなたを育てた覚えはない。私だって5年間そうだったわよ」と取り合わなかったのである。祖母は自分がかつて夫の不在の寂しさに耐えるために本音を押し殺したのと同じことを、娘にも押しつけていたのである。娘は母の言うとおりに、寂しさや満たされぬ思いを押し殺しているうちに、赤ん坊の要求にも応じられないくらい落ち込んでしまったのである。
 育児のネグレクト(放棄)や虐待は日常生活で何気なく起きる。現代社会で、孤立し傷つき、心のゆとりのない状態に追いやられる時には、どの親にもリスクがある。辛い気持を押し殺し平気なふりをすると、わが子の要求やむき出しの感情に触発され、理性とは無関係にキレてしまうのである。
 日本で特に今日考えなければいけないのは、戦中戦後のトラウマである。はぼすべての人々が、戦後のどさくさで、生活と国の再建に追われて、じっくり見つめずにきた問題が、戦後50年以上を経てようやく問題として浮びあがってきている。それは子どもの症状の背景になにげなく現われるので、子どもを診察する時には、なにげなく祖父母の戦争体験について質問をするとよい。


5.攻撃者への同一化
 押し殺された苦しみは家族の中で、放射能のように静かに見えない間になにげない日常のやりとりをとおして世代から世代へと伝達される。人には「攻撃者への同一化identification with the aggressor, Freud, A」いう現象がある。これは自分が辛いことを強いられ、トラウマを受けた時、被害者としての無力感を克服しようとして、加害者に逆転することである。つまりトラウマの屈辱を払拭しようとして、頭では加害者を憎みながら、やられたこととそっくりのことを、より弱い相手に知らぬ間にやってしまうことである。たとえば親があまりにも熱心に、子どもを無理な塾通いやお稽古ごとを強いたり、幼い子を留守番させ、我慢させる時には、親の育児への熱意の裏に、攻撃者への同一化があることを凝ってみることが大切であろう。
 このようなトラウマの連鎖を断つには、親自身が、自分の生きのびた辛い体験をオープンにふりかえって誰かに語り、しみじみと涙を流すことが役立つ。その時の心の痛みを味わい直し、よく生きのびたと自分を労うことができるように助けてあげるとよい。自分の本音を認め、人を信じ許していくしなやかな心が、トラウマの世代間伝達を防ぐ心の土壌である。新しい時代の家族関係、特に父母の関係には、粘り強く、このしなやかな許し合いの心を育むことが大切である。


6.思春期と響きあう家族葛藤

 揺れる思春期の子どもにより、家族もまた揺さぶられる。子どもの思春期は、父母にとっても、中年期というライフスタイルの危機にあたる。父親はリストラ、転勤、単身赴任、中間管理職などのストレスを抱え、母親は子どもの進学や受験の心配、思春期の葛藤につきあい、戸惑ったり、腹立ったり、緊張したりする。父母は我が子の理不尽な要求にもまれながら、自らの夫婦関係や家族関係や生き方を振り返り、人として、夫婦として成熟していく。その過程で、意識せぬまに、自分自身がかつて思春期に育てられたようにわが子を育て、自分の未解決の親子関係の葛藤をわが子に伝えていく。

7.思春期の家族機能
 思春期の心の発達には、思春期の子どものさまざまな矛盾した感情を、ボクシングのサンドバックのように、ゆれながらしかりと受け止めることのできる体勢が必要である。そのため特に、@父母連合、A世代境界、B性差境界の3つが大切な機能である。息子は父親のようになりたいと考え、娘は母親のようになりたいと感じることが大事である。そして夫婦が一枚岩となってしっかりとした家庭を築くことが重要である。そうでなければ子どもは暴走族のような疑似家族の中に入っていくのである。

@父母連合
 父母連合とは、父母が力を合わせて一枚岩となり、子どもの気持と向き合うための連係プレーをいう。
A世代境界
 世代境界とは、子どもが安心して、子どもとしての心の発達課題に専念できるように、親が親として守るけじめのことである。夫婦関係の葛藤を子どもに相談したり、子どもに不必要な不安をかきたてないことである。
B性差境界
 性差境界とは、母親が娘の、父親が息子の身近なモデルとして機能し、男女それぞれが、家庭内で不要な不安や緊張をせずに、自分の生まれた性への、同一化を確立できることである。

8.思春期の発達段階
 子どもにより千差万別な思春期にも、およそ次のような発達段階がある。
@前思春期
 小学校の高学年から中学にかけて、急に身長が伸びだした頃から初潮や声変わりの頃までをいう。男子は、母親におおっぴらに甘えられる最後に時期。安心して母親に反抗しながら、父親と仲良くなり男同士の世界に入れるとよい。女子は、父親から遠ざかり、母親との親密さが一段と深まり、甘えたり反抗したりしながら、母親の世界に同一化する。乳児期の未解決の葛藤がこの時期に露呈する。3歳以前に母親との暖かい満ち足りた愛着がもてなかった場合、子供は言葉にはいえぬ見捨てられる不安、自分が愛されていない不安を抱きやすい。親の愛情を疑い、病的な分離不安やしがみつき、あるいはその裏返しとして、極端な自立や突っ張りを示すことがある。この時期は子どものありのままの甘えや怒りや不安を、母親が父親と一緒に徹底して受け止めるとよい。この時期には、男の子には父親が前面に出て、母親は後ろに廻り、女の子には母親が前面に出て父親が後ろに廻って接しなければならない。

A思春期初期
 女子では初潮、男子では声変わりや夢精が出現する時期である。子どもとしての自分に別れを告げ、母親離れの第一歩が始まる。同性愛段階とも呼ばれ、同姓の仲間との親密な交流を通し、子どもは仲間の容姿、能力、個性やセンスを取り入れていく。スターや偉人にあこがれ、将来の理想的自己像がつくられていく。この時期同姓の友がいること、好きな世界があること、親に秘密の世界がもてることが大切である。親子の距離が密着しすぎると、子どもはジレンマに陥る。秘密を持つ力の発達とともに人間としての孤独や哀しみ、誰かを慕い、特別な絆を求める気持とともに自己の存在の基盤やルーツを確認したくなり、父母の出会いや、幼児期の思い出を求めてアルバムを開いたりする。

B思春期中期
 二次性徴が完成し、均整のとれた身体つきになり、心理的にも成熟し落ち着く時期である。衝動のコントロール力、自己観察力、判断力、義務感など、大人としての責任を持って判断し行動する精神機能が備わってくる。親にからむ代わりに要求を言語化し、必要なことのみ相談し、親を一人の人間として観察し批判するようになる。依存対象は家庭外の先輩や教師になり、異性への関心から男女交際も始まる。いろいろな出会いを通して、自分の男らしさ、女らしさを試し、自分の生まれついた性を、自己の大事な一部として受け入れていき性同一性が確立する。この時期はいくら頑張っても母親は「おばん」父親は「おじん」でしかありません。

C思春期後期
 およそ高校を卒業する頃、身体的な変化が終わり、心理的・社会的な自己をめぐり、自分の価値観、職業、伴侶などの選択を具体的に考え、試行錯誤を繰り返しながら、自己のアイデンティティを確立する時期である。


9.思春期を支える大人の内省的自己
 思春期の子どもはそれぞれ野山や谷を越えながら一歩ずつ自立していく。その発達をよく支えるには、子どもとその家族をしっかりと社会の大人全体が応援していく責任ある姿勢が大切であろう。

10.さまざまな心のボタンの掛け違い
 現代の家族には、以下に述べるようないろいろな新しい障害が親子の出会いのボタンの掛け違いを生じている。先行する不妊症、不育症や、産後うつ病は、人知れぬ苦しみを母子関係に引き起こす。また、核家族で出産の間隔が3年末満の時、兄や姉となる1、2歳児は、急に母親が出産で消えた後、赤ちゃんを抱いて帰ってくる姿にショックを受け、自分は嫌われたと誤解しやすい。母親の知らないところで、嫉妬深い子が、弱いおとなしい弟妹をいじめるといった複雑な戦いも展開する。
 少子化は育児の緊張や偏りにつながりやすい。一人っ子であるとその子は、親の期待をおしつけられやすい。子どもは、自然体の自分を失い、親の期待にかなう子になろうとするが、必ずしも幸せにはつながらない。
 一人っ子は母親が緊張しがちである。一人の子だから育児の失敗は許されないような気持から、周囲の人々の「甘やかすでしょう」というプレッシャーを先取りしてしまう。そのために一人っ子の方が、安心して自分のペースでべったり母親に甘えることはできないという意外なことが起きている。
 高齢出産の急増は、親がある程度経済的社会的に安定し、成熟した時期に子どもを生むという利点や、体力的にもはや二十代のように体ごと子どもと遊んだりできないといった制限が混ざりあい、ケースバイケースである。高齢出産の母親は、若いお母さん方に解けこめなくて孤立しがちであったり、大人の雰囲気の家庭の中で、子どもらしいやんちゃさを発揮できなかったりといったことによく気をつけるとよい。
 父親の単身赴任は、残された家族には大変なストレスである。いつもより母親は緊張し家族もほっとしにくい。日本社会全体が単身赴任の大変さに理解を示すことが大切である。
 働く母親の育児は、父親の協力の有無、保育園や地域社会との温かい信頼関係がもてるかどうかにより明暗がわかれる。一方内職は家庭で子どもをみている半面、母親に「じゃましちゃだめよ」と叱られ、子どもが心理的な生殺しにあうリスクもある。また母親が外の仕事や店の手伝いで忙しいと、懐く対象が叔母さんやお婆ちゃんになり、それでうまくいく時もあるが、実の母親に見捨てられたような気持ちに陥る子もいる。
 いずれの養育形態の場合にも、大事なのは昔の農家の百姓の家族のように、子どもが地続きの温かい親心をもった大人集団に見守られて、子ども同士の楽しい遊びの世界がもてることであろう。母屋と離れを行き来するような感じで、保育園と自分の家庭を行き来する子どもはよいが、保育園を子どもを預かる便利なところとして母親がビジネス様に割り切ると、子どもは人知れぬ疎外感を味うことになる。
 また女性の生き方がかなり自由になったとはいえ、日本はまだまだ従来の家族制度のなごりや価値観に縛られる社会である。結婚して子どもができないと、かつては「子なきは去れ」とか「産まず女」といわれて、女性は社会の冷たい目に苦しんだ。現代は、自らDINKS(dual income no kids子抜きの倍給料)と自ら子どもをもたないことを選択する夫婦も増えている。が、実際には子どもが生まれない女性は、秘かに、自分の生殖能力にひけめを抱きがちである。どの女性にとっても不妊治療はストレスの多い治療で、口にこそしないが、ほとんどの人が隠れた形のトラウマを受けている。そこで不妊治療を経て、子が授かった場合でも、無事生まれるまでの母親の不安緊張ははかりしれないことを推察すべきであろう。
 日本の男子は伝統的に「お国のため、お家のために」滅私奉公するよう育てられている。その育ちかたや教育は、新しい時代の核家族の幸せな夫婦関係や男女のパートナーシップを難しくしている。

講師略歴

昭和48年慶応義塾大学医学部卒業後、同小児科助手、同精神科助手、小児療育相談センター、横浜市民病院精神科医長を経て、ロンドンのタビストック・クリニック臨床研究員として留学し、精神分析と乳幼児精神医学を学ぶ。
平成5年より慶応義塾大学小児科精神講師となり、現在に至る。二人の子の母親であり、また子どもの心の専門家として国際的な学会でも活躍している。

[主な著書]
「心育ての子育て」白石書房
「抱きしめてあげて」彩古書房
「発達(別冊)乳幼児精神医学への招待」 ミネルヴァ書房
「子どもを伸ばすお母さんのふしぎな力」 企画室(マルユー書籍販売)
「乳幼児・ダイナミックな世界と発達」 (共著)安田生命社会事業団
「サイコセラピー入門」 (共著)安田生命社会事業団
「母子臨床と世代間伝達」 金剛出版 ほか

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