トップページ > ロータリー講座 >職業奉仕講演集 U > 1927年 四大奉仕の考え方
 
1927年 四大奉仕の考え方

 1927年にベルギーのオステンドで開かれた国際大会で、四大奉仕の考え方が決められました。私たちは今、クラブ奉仕、職業奉仕、社会奉仕、国際奉仕の四つの部門に分けて、その活動がロータリーライフのすべてだと考えています。それではそれまではどのように考えられていたのでしょうか。ロータリークラブの例会で何をするのかということと、例会を出たコミュニティで何をするのかという二つに分けて考えていたのです。 まず例会で何をするのか。ロータリーの原点、必要条件とでも言いましょうか、これが一人一業種の職業分類と定例の会合なのです。一人一業種で選ばれた裁量権のある会員が、毎週1回定例に場所で開かれる例会に集まります。その話題はそれぞれが職業人ですから、当然のこととしてお互いの職業上の発想の交換であり、その結果として導き出されるものはいかにして職業倫理を高めていくか、いかにして企業を防衛するかという職業奉仕の心を磨く作業になるでしょう。
 例会を通じて高められた奉仕の心を持ったロータリアンは、それぞれの家庭に帰り、職場に帰り、ある人は地域社会や国際社会で例会で学んだ奉仕の心を実践に移すのです。これが理想とされるロータリアンの姿だと考えられていたわけです。
 この例会で学ぶ心を巡って1910年から1916年までの間に、主に現在の職業奉仕に相当する数々のドキュメントが作られるわけです。当時は職業奉仕という言葉はありませんでしたから、これを一般奉仕概念と呼んでいました。すなわち親睦と互恵から出発したロータリーは、この時点において今の職業奉仕に相当する一般奉仕概念を得てその研究と実践に邁進していたわけです。
 ところがここにもう一つの奉仕活動があることに気がついたのです。それは何か。ロータリアンは恵まれた環境の中で昼食を摂りながら、いろいろなことを話し合いながら自分の事業を発展させることを考えていればよい。しかし町の片隅には、病気や貧困にあえいでいる人が沢山いるではないか。私たちロータリアンはそんな人達を見過ごしていていいのだろうか。というチャリティとかボランティアの考え方がもう一つの奉仕活動という形で生まれてきたのです。当然のことと思います。自分のことだけ考えるのではなくて、恵まれない人達に何ができるかを考える生き方。
 でも一方では、職業人であるロータリアンとして一番大切なことは、職業を通じて奉仕することである。そのためには自分の職業倫理を向上させ、それを業界全体の倫理向上に発展させるとともに、自分の企業を発展させ、適正な利潤を得て、それを取り巻く人々にshareしていくことである。倫理構築を積み重ねてきた職業奉仕こそロータリーの生き方だという考え。これはもう哲学ですから、今さら変えるわけにはいきません。この二つの考えがまともにぶつかり合って大きな葛藤が生じてくるのです。社会奉仕の実践を中心に考える一派は、「理屈ばかり言って、何の行動も起こさない連中」と映ったでしょうし、職業奉仕を重視する一派は、「社会奉仕はロータリーの本命ではない。もしもどうしてもそれが必要なら自分が得た利潤から個人的に行ったらよい」と反論したわけです。
 1915年頃から、アメリカの中小クラブが挙って実施した社会奉仕の実践活動に身体障害児に対する援助活動があります。よく例としてあげられるエドガー・アレン、彼は親しみをこめてダディ・アレンと呼ばれていますが、ロータリークラブの入会に際して、彼がライフワークとして行っていた身体障害児に対する援助活動を、クラブ全体としてバックアップすることを条件にして、エリリアクラブに入会しました。後に彼はこの活動をオハイオ州全体に拡げ、さらに全米身体障害児協会、最終的には国際レベルまで発展させた素晴らしい人です。
 エリリアクラブ、トレドクラブに代表されるこの時期のアメリカの中小クラブは、挙って団体的、金銭的および直接参加型の奉仕活動の実践として身体障害児対策に取り組んだのです。だから当時のことを述懐して、「一般の人達はロータリークラブを身体障害児の援助団体だと誤解していた」という記録さえ残っています。
 奉仕理念の提唱や研究はもっぱら連合会を中心に行われていたとはいえ、クラブ内でも、この活動が本来ロータリークラブがやるべき仕事だろうかという職業奉仕を中心に考える人達との軋轢が生じてきました。もっとも大きな問題は金銭的に行き詰まったことです。身体障害児対策は、ものすごくお金のかかる事業ですから、いくら会員に寄付を呼びかけて集めたとしても焼け石に水の状態です。
 クラブも困ったし、連合会も困った。理念派と実践派の対立がいっそう強くなってきて、このまま放置しておけばロータリーが分裂する可能性すらでてきました。それを何とか打開しなければならないということで行動が開始されました。シカゴクラブのウイリアム・ウエストバーグとナッシュビルクラブのウイル・メーニァがその役をかってでて、特に起草委員を務めたウイル・メーニァによって、ロータリー分裂を防ぐための妥協策として作成されたものが、かの有名な決議23−34なのです。

↑職業奉仕講演集Uトップ  
←BACK
 
Copyright (C) 2006-2015 Awaji Chuo Rotary Club All Rights Rserved.