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弱者救済は本来ではない

 以上を要約するに、ロータリーの奉仕と言うことを考えるときに、弱者救済、それも結構ですが、それはロータリーでなくてもできる。元来弱者を救済することは、国家または地方自治体の責務です。「ロータリーは奉仕という美名のもとに、行政の仕事を請け負うのか」と言う意見もあったのです。
 弱者救済は悪いことではない。行政の手の届かないところはロータリアンが善意をもって、助けていかなければならないのですが、それをもってロータリーの奉仕だと考えてはなりません。ロータリアンでないとできない奉仕というものがある。それは職業を通じて、職業人として、世のため人のために役立っていく。その抽象的なあり方を示すものが、実は職業奉仕であるということを、我々の先達は説いていたわけです。
 このようにロータリーが、同業組合育成運動や商工会議所の復興運動によって、アメリカ経済社会を復興させていったということを、我々は忘れることができません。
 次の問題は、下請関係です。アダム・スミスが“Wealth of Nation”「国富論」を著しました。その第1章は、“Division of Labor”「分業」です。人間は資本主義社会を発展させるために分業に分業を重ねてきたのです。今日どの業界も下請を使わない企業はまずないだろうと思います。分業に分業を重ねて、沢山の下請を使う、孫請を使う。そのときにロータリアンは、下請の関係、孫請の関係をいかに処理するか、どのようにして自分の行動に愛情を込めていくのか、と言う問題です。
 結論だけ申し上げます。まず第1は、利潤の適正分配です。それから第2は、賄賂の禁止です。力の弱いものはどうしても力の強いものに対して賄賂を使うことになります。先ほどの日本の二代目ガバナー井坂孝は、「ロータリアンたるもの賄賂を贈ることなかれ」と説いています。
 贈ってはならないものであれば、貰うのはいいのかというと、貰う方もいけないのであります。自分だけが賄賂を使って、取引を成功させようと考える。これはエゴイズムの世界でして、世のため人のためにならない。したがってロータリアンは、賄賂を絶対に使ってはならない。それは資本主義社会の自由競争の公正さを害することになり、ひいては、世のため人のためにはならないからであります。これは下請関係の問題です。
 それから最後にロータリアン夫子自身の企業をどのように管理するかの問題があります。ロータリーは、どのような不況期にも絶対に倒産しない強靱な体質の企業を作り上げるには、どのようにすればよいのか、という原理を説いています。結論だけ申します。
 第1に、経理の公開。第2に、適正賃金。第3に、従業員の自主管理権の確立。第4に、人間関係(human relation)。この四つの項目について、ロタりーはこと細かく分析しています。
 以上がロータリーの職業奉仕論のあらかたのところです。いずれにいたしましても、このようなロータリーの職業奉仕の原理というものをロータリアン夫子自身が、ひたすらに実践していくことによって、強靱な体質の企業に作り上げていくことはまず間違いありません。そしてどのような不況期になっても絶対に倒産しないであろうといわれています。そんな証拠がどこにあるのか。職業奉仕という言葉ができたのは1927年です。そのわずか2年後にアメリカ経済社会を襲った空前絶後のパニック、あのときロータリアンは一人も倒産していないのです。
 それは1910年頃からロータリークラブにおける発想の交換、アイディアの交換の場で、いろいろなアイディアを交換しながら、ロータリー的企業管理論ともいうべき(まだ当時は職業奉仕という言葉はありません)原理を開発し、それをロータリアン夫子自身の企業に実践しながら強靱な体質の企業を作り上げていった、その功徳、職業奉仕実践の功徳によって、あのパニックを切り抜けることができたのです。しかも自分たちだけが生き延びたのではなく、パニックに敗れていった敗者の代弁者になって、経済復興に尽力したということが、ロータリーの奉仕の一つの眼目であるということを申し上げたいのです。
 今ロータリーの世界を職業奉仕理解の視点から見るかぎり、あまりにも暗すぎると思います。あの文豪ゲーテがこの世を去る臨終の言葉に、「暗すぎる。もっと光を」と言ったそうです。私は、「ロータリーにもっとロータリーを」と言いたいのです。私の意のあるところをお汲み取りいただければ幸いです。

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