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“倫理的な商売”をする

 ところがロータリーは、この職業を営む心が同時に世のため人のための心でなければならない、逆に言うと、世のため人のための心を持って職業を営みなさい、というわけです。そうすると、職業を営む過程に必然的に倫理の問題が入ってきます。倫理的な商売をしなければならない。すなわち職業に倫理性を要求してきます。
 私たちは倫理の問題を考えるときには人間の行動パターンを分析してみなければなりません。私たち人間の行動パターンは大きく分けて二つに分かれます。
 一つは「打算の世界」であります。そろばんを弾く世界。人間は常に価値のあるものを求めて行動します。価値のないものは一切相手にしない。したがって商人が100円の商品を持っている。お客がその商品を買いたい。そして100円の貨幣を持っている。客は商品をほしい、商人は売りたい、双方にその交換についてメリットがあるときに、100円の賞品が客のところへ渡り、100円の貨幣が商人のところへわたる。そのことによって等価交換は成立するわけです。
 一方にでもそのメリットがなければ、等価交換は成立しません。等価交換が成立すると取引はきれいに生産されて、後には何も残りません。これが打算の世界です。
 ところが人間の行動はすべて打算で動いているかというと、そうではありません。打算とは全く関係のない世界があります。それが「愛情の世界」です。例えば夫婦の関係のように、「私のものはあなたのもの、あなたのものは私のもの」と言える関係。
 具体的な例を出すと、例えば、ご主人が会社の経営がうまくいかなくなってきた。銀行で手形を割ろうと思っても、その枠がもうなくなって困っているときに、奥様が「あなた、これ使って」と言って、実家から持参金で持ってきた500万円の金を渡す。ご主人が「ありがとう」といって、急場を切り抜けていく。しかしいったん切り抜けたがまた行き詰まってくる。いつまでたってもご主人はその500万円を返すことができない。そういう状況になったときに、奥様の方からご主人を相手にとって貸金請求の訴訟を起こすことはまずありません。もし提訴すればそれは夫婦ではありません。したがって奥様の立場に立ちますと、500万円貸したがそれがいつまでたっても返してもらえないということは、生産されないでいつまでもその因縁が残っている。奥様の立場からすればまさに損をした関係になるわけですが、それを損と考えない世界、すなわち愛情の世界。損を損と考えないから、打算は一切存在しない。しかしそこには限りなき愛情があるのです。
 なぜこのような話をしたかというと、実はロータリーは職業人の集まりですが、その職業を分析すると大きく二つに分かれます。一つは僧侶、弁護士、医者、教育者のようにprofession専門職業と呼ばれる人達、他の一つは、businessと呼ばれる実業家達であります。この二つを含めてロータリーは、職業occupationという言葉で集約しています。したがってロータリアンの中には、professionの身分の方とbusinessmanの身分の方と二通りあるのです。
 実はこのprofessionの身分の人達は、中世ヨーロッパにおける歴史的背景を顧みると、この「愛情の世界」に満ち満ちていた職業なのです。中世ヨーロッパでは、すべての身分によって社会が管理されていました。最高位にいるのが王で、これは治める階級。その下に武士とか貴族がいます。これは外敵と戦う階級。その下に聖職者という階級があって、これは祈る階級すなわち神父さんです。その下に働く階級として農民がいたわけです。農民の下には奴隷がいます。これが全国民の65%を占めていました。奴隷というのは、人の形をした物です。人格は一切ありません。残りの35%の中で、王、貴族、聖職者がだいたい7%くらいしかいません。そのあとはすべて農民です。
 奴隷と農民が働いて、その収穫によってわずか7%の王、貴族、聖職者を養っていたのです。したがって聖職者である神父さんは、働かなくても、土地からの収穫でもって食っていけますから、報酬を請求する必要もなく、したがって報酬請求権はありませんでした。
 中世ヨーロッパでは、神父さんが法律家の仕事も、医者の仕事もしていたのです。したがって医者は、中世ヨーロッパの神学の別れとしての職業です。弁護士のような法律家も神学の別れとしての職業です。したがって、沿革的には報酬請求権がありません。いや報酬請求権など必要としなかったのです。完全に身分が保障されていますから。
 したがってその職業の第一義は何かというと、例えば神父さんは神様から与えられた客観原理をもって、ひたすら神の道を説きます。そのことによって人の悩みを救うことを職業の第一義とするのです。それは報酬をもらうために神の道を説くのではありません。ただひたすらに人々の悩みを救うために神の道を説く。お坊さんは仏の道を説きますが、それはお布施をもらうためではなく、人々の悩みを救済するために説くのです。
 このように人々を救済することを持って第一義とする職業をprofessionというのです。医者は、神様から与えられた客観原理をもって、病気を治すことによって病人を救うことをもって自らの職業の第一義としているのです。したがって沿革的には報酬請求権はありません。
 しかし病気を治してもらった人が感謝の気持ちをもってなにがしかの物をもってくれば、それは感謝の気持ちをもって受け取ってよろしい。そういうものをhonorariumと言います。honorの語尾変化で honorarium。自ら請求することはできません。しかし相手がもってくれば感謝の気持ちをもって受け取ることができます。これは報酬ではありません。honorariumと言います。弁護士も同じです。
 このようなものの考え方の残骸が、現在の国家の制度にも残っています。例えば報酬を受け取ると領収書には収入印紙を貼ります。ところが僧侶、弁護士、医者などは、領収書に収入印紙を貼らなくていいのです。なぜかというと、これらの職業は元来businessmanと違って、営業に関しない職業、神学の別れとしての職業であると考えられているので収入印紙を貼る必要はないのです。
 したがって、僧侶が仏の道を説き、それを聞いた人が貧乏でお布施を持ってくることができなくても、「こん畜生」と思う筋合いのことではないのです。貧乏で金がなければ持ってこなくてよい。僧侶とはそのようなこととは関係なく、ひたすらその人の悩みを救うために仏の道を説く、それが僧侶の職業の第一義なのです。
 このようにprofessionと呼ばれる人達は、元来中世ヨーロッパでは、「愛情の世界」にのみ生きてきた人達で、そこでは報酬請求権はありませんし、打算という生き方もありません。これに対して、businessmanはお金を儲けることを恥ずかしいとは思ってはいけません。儲けることが職業の第一義になっているからです。ただ businessmanも「愛情の世界」の倫理をもって、「打算の世界」たる企業をコントロールしていく人は、businessmanとして大成しています。
 なぜかというと、愛情背世界で、例えば僧侶が一生懸命仏の道を説いて人々の悩みを救済しています。しかし、人々が貧乏でお布施を持ってくることができなければそれでよし。しかしそのかぎりにおいて、僧侶は社会に対して貸方になっています。貸方になっているからこそ、社会から尊敬と信頼をもって報いられることになります。これが完全に精算される「打算の世界」みたいに、100円の商品が客の手に渡り、100円の貨幣が商人の手に渡ることによって、両者の関係が清算されたら尊敬も信頼も生まれる余地はありません。businessmanも社会に対して貸方になるようなことをしていると、尊敬と信頼をもって報いられる。そしていつもお客さんのことを考えて商売をしている、すなわちその行動に愛情を込めた商売をしていると、尊敬と信頼をもって報いられると同時に、商人にあっては信用という厚い保護膜でもって保護されていくのです。
 これがどのような不況になっても倒産しない非常に大切な要素だということが言えるだろうと思います。大成した実業家は、すべて「愛情の世界」の論理をもって、自分の企業をマネージしています。「愛情の世界」の論理をもって「打算の世界」をコントロールしていく、これが実は職業奉仕の根本原理なのです。

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