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Service,not self の思想

 ここまではまだわかりやすいのです。問題は、自分が納めた商品に欠陥が出たので、それを全部回収して、完全な商品に修理してお客様のもとへ納めるという作業をすれば、会社が計算上倒産することが明らかになった場合にどうするかです。
 ロータリー道徳律第6条では、それでもあえて実行しなさいというのです。これは厳しい言葉です。自由競争の社会に生きていて、計算上倒産することが明らかになっているのに、それをあえて実行して倒産すれば奉仕も何もないではないか。もし本当に倒産すれば、社員も家族も路頭に迷う。さらに場合によっては商法上の刑事責任を問われるかもしれない。株主に対する配当責任を果たすこともできない。そんなことはとてもできない。これが現場のロータリアンの声です。
 しかし道徳律第6条は、あえてそれを実行せよといった。その心は、“Service,not self”この思想が第6条の根底に流れているのです。これはミネアポリスクラブの初代会長フランク・B・コリンズが1911年に提唱した標語です。コリンズは、「ロータリアンよ、自分の為すべきことを為して、美しく散れ」と言っているのです。現場のロータリアンは散ってしまったらどうしようもないではないか、と言うのですが、道徳律第6条はこのような思想に立脚するものなのです。
 具体的な例を申し上げます。ロータリーというのは行動哲学でありますから、計算上倒産するというのを机上の空論と言います。行動哲学であれば、「まずやってみろ」。銀行の融資を受けながら、何とかしてそれを成し遂げたときに、何を持って報いられるか。絶大な信用を持って報いられるであろう、とロータリーは言うのです。
 金沢のロータリアンで、ドーナツを作る機械を造っている人がいました。ある時その機械に欠陥が見つかって、その機械を全部回収して、そしてまたお客様のところへ戻す作業を実行すれば、完全に計算上倒産することが明らかになりました。しかしそのロータリアンはあえてそれを実行したのです。銀行から融資を受け、四苦八苦して何とかそれをやり遂げた後に何が待っていたか。その会社は世界的な企業にのし上がっていったのです。
 したがって日本のことわざにもあります。「振り下ろす太刀の下こそ地獄なれ、身を捨てて浮かぶ瀬もあれ」あるいは、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」。ロータリーはまずやってみろ。それを成し遂げた後に何が待っているか。これがロータリーの奉仕だというのです。自己犠牲の奉仕です。そういうことはとてもできない、と言うロータリアンは沢山います。それはその人のロータリー観によって行動されることであって、それはそれで結構ですが、ロータリーの先達は、企業であれば、自己犠牲の奉仕に徹しなめれば企業は生きていけないよ、と言うことを説いているのです。
 この道徳律第6条というのは、Service,not selfすなわち自己犠牲の奉仕の思想によって掻かれたものです。 初期のロータリー運動の指導者は、概ねこの自己犠牲の奉仕を持ってロータリーの奉仕と考えておりました。ただしポール・ハリスはこの考えを採りませんでした。もう一人、ロータリーの哲学者といわれたアーサー・フレデリック・シェルドンもこれを採りません。この二人は、Service,above selfすなわち実業倫理の世界でロータリーの奉仕を理解しています。
 Service,not selfというのは、自己を犠牲にしてこの宇宙を支配する神の秩序体系の下に帰依すること、それすなわち、ロータリーの奉仕であるというのですから、これは中世キリスト教神学の思想以外の何ものでもない、宗教的な思想を根底においた提唱です。コリンズはこのような提唱奉仕を持ってロータリーの奉仕を定義づけたのです。ポール・ハリスはこの考え方を採りませんでしたが、1912年の国際ロータリークラブ連合会会長グレン・C・ミード(フィラデルフィアクラブ)、そしてこの道徳律を作ろうと提案した1913年の二代目会長ラッセル・F・グレイナー、さらに1915年の四代目会長アレン・アルバートら皆 Service,not selfに生きた人です。アレン・アルバートは、ロータリーの奉仕というのは、ロータリークラブ例会における「実力の涵養、人格の形成」それこそがロータリーの奉仕であると言いきっています。ロータリアン自身が毎週の例会に出て、ひたすら心を磨き、人格を高めていく。そしてロータリアン以外の人を感化し、人のためには自らを犠牲にして奉仕に身を捧げる。これがロータリーの奉仕だと言っているのです。
 しかしポール・ハリスは、「ロータリーは宗教ではない。もう少しレベルを下げて宗教の世界ではなく、実業倫理の世界で奉仕というものを理解しなければならない」と説いたわけです。
 日本のロータリーの始祖、米山梅吉先生はService,not self自己犠牲に生きた人でした。米山先生は大実業家でしたが、湯水の如く入ってくる金を湯水の如くすべて世のため人のために使っていったのであります。そして最後は破産寸前にまでなったと言われています。誠に米山先生はService,not selfの世界に生きた人であり、偉大な先達でした。 また一方、Service above selfの思想の系譜に属する人は米山先生の次のガバナー、昭和6年横浜クラブからでました井坂孝ガバナーであり、この方は実業倫理の世界でロータリーを理解しました。
 このようにロータリーの思想の世界というのは、さまざまな思想が混在しています。ロータリー道徳律は、1915年のサンフランシスコの国際大会で採択されましたが、それは1922年に国際ロータリーが形成されたときに、国際ロータリー細則第16条によって、この自己犠牲の奉仕の精神で書かれた道徳律をもって、ロータリーの現行法則たるべきものと定める、と規定されたのです。したがって自己犠牲の奉仕の精神によって書かれたこの道徳律は、全世界のロータリークラブに対して規範ととしての効力を持つに至ったのです。

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